母と牛乳と思い出と

母と牛乳

湯気の中に、今もあの頃の母がいる。

キッチンカウンターに置かれた、少し古びた電子レンジが「チーン」と軽快な音を立てる。それが、我が家の朝の始まりを告げる合図だった。

五十一歳になった今の私が、都内のマンションのキッチンでマグカップを手に取る。注ぐのは、冷蔵庫から出したばかりの冷たい牛乳だ。それをレンジで温め、少し多めのインスタントコーヒーを溶かす。スプーンがカップの底に当たる、カチカチという乾いた音。その音の反響の中に、私はふっと、三十五年前の記憶の断片を見つける。

昭和の終わりから平成の初めにかけての、ごくありふれた中流家庭の風景だ。

十五歳の私は、地元の公立高校でサッカー部に所属していた。当時の私は、典型的な「成長期の悩み」を抱えていた。体力をつけなければならない、体格を大きくしなければならない。顧問の先生からは「もっとカルシウムを摂れ、もっと米を食え」と耳にタコができるほど言われていた。しかし、私はどうしても牛乳が苦手だった。あの独特の生臭さと、口の中に残る重たい感覚。給食の時間、最後まで机に残された牛乳瓶を恨めしそうに見つめていた子供時代から、私の牛乳嫌いは筋金入りだった。

「あんた、また背が止まってるんじゃないの? サッカーやってるんだから、骨を丈夫にしなきゃダメよ」

当時四十五歳だった母は、毎朝のようにそう言って私を急かした。母は、決して教育ママというわけではなかったが、息子がフィールドで力負けして転ぶ姿を見るのが、何より忍びなかったらしい。

母は私の牛乳嫌いを知り抜いていた。だからこそ、母が考案した「妥協点」が、熱々のコーヒー牛乳だったのだ。

「これなら飲めるでしょ」

母が差し出すマグカップには、たっぷりの牛乳に、ほんの少しの砂糖とコーヒーが混ぜられていた。レンジで丁寧に温められた牛乳は、表面に薄い膜を張っていることもある。母はそれを器用に箸で取り除き、「はい、温かいうちに」と私の前に置く。

冬の朝、練習で疲れ果てた体が重い時も、夏の湿った朝、練習へ向かう足が鈍る時も、その一杯だけは私の胃袋へと収まった。コーヒーの苦味が牛乳の癖を消し、砂糖の甘さが眠っていた脳をわずかに揺さぶる。

「しっかり食べなさい。走れなくなるわよ」

エプロン姿の母は、トースターから飛び出した食パンを皿に並べながら、せわしなく立ち働いていた。当時の四十五歳の母は、今の私よりも若かったはずなのに、当時の私から見れば「完成された大人」であり、決して揺らぐことのない家庭の支柱だった。少しパーマをあてた髪、台所に立つ後ろ姿、そしてレンジの音が響くたびに漂ってくる、あの甘く香ばしい匂い。

私は、ろくに返事もせず、ただ黙々とそのコーヒー牛乳を飲み干した。思春期特有の無愛想な態度で、感謝の言葉ひとつ口にしなかった。それでも母は、空になったカップを見ると、満足げに少しだけ口角を上げた。

「お母さん、またこれ?」 「文句言わない。あんたの血と肉になるんだから」

そんな、何の変哲もない会話。それが永遠に続く日常だと、当時の私は疑いもしなかった。


母と牛乳

現在の私の手元にあるのは、最新式の静音設計の電子レンジで温められた、当時よりも少し贅沢な豆を使ったコーヒー牛乳だ。砂糖は入れなくなった。健康を気にする年齢になったからだ。

窓の外には、冬の澄んだ空が広がっている。 ふと、実家の母のことを思う。

母ももう、八十歳を超えた。数年前、父が他界してからは実家で一人暮らしを続けている。電話をかければ「元気よ、心配いらないわ」と明るい声が返ってくるが、帰省するたびにその背中が少しずつ小さくなっていくのを感じる。

あんなにテキパキと動いていた台所も、今では少し整理が行き届かなくなっているかもしれない。あんなに私を急かした母が、今はゆっくりと椅子に座って、テレビの音を子守唄にうたた寝をしているかもしれない。

私は今でも、毎朝コーヒー牛乳を飲む。 それは、栄養を摂るためというより、一日の始まりに自分を整えるための儀式のようなものだ。

「血と肉になるんだから」

あの時の母の言葉が、五十年生きてきた今の私の中で、温かな重みを持って響く。母が私に飲ませていたのは、単なるカルシウムやカフェインではなかったのだ。それは、言葉にできない不安や、息子への願い、そして静かな愛情そのものだった。

私が今、こうして大きな病気もせず、社会の荒波の中で立っていられるのは、あの朝の、たった一杯の温かな習慣が支えてくれているからではないか。そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。

マグカップに残った最後の一口を飲み干す。 底にわずかに残ったコーヒーの粉が、かつての思い出の滓(かす)のように見えた。

「……電話してみるか」

独り言をこぼし、私はスマートフォンを手に取る。 「元気でやってるかな」と、ふとした瞬間に思い出せる相手がいること。そして、その思い出の中に、甘くて温かい匂いが染み付いていること。

それは、中流家庭のありふれた幸福の、最も純度の高い形だったのかもしれない。

キッチンの窓から差し込む朝日を浴びながら、私は少しだけ優しい気持ちで、一日のスタートを切る準備を整えた。あの頃の母と同じように、私もまた、自分の人生というフィールドを走り続けるために。

牛乳でスマイルプロジェクト

コメント

タイトルとURLをコピーしました